「九相図」と「ドグラ・マグラ」という言葉を同時に目にしたとき、多くの方は一瞬戸惑われるかもしれません。仏教美術の一形態である九相図と、日本三大奇書の一つに数えられる夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」。一見すると全く異なる分野のこの二つが、実は深い関係性を持っているのです。私自身、初めて「ドグラ・マグラ」を読んだときは、作中に登場する九相図の描写に強い衝撃を受けました。死体が朽ちていく過程を描いた宗教画が、なぜ探偵小説の中核を成すのか。その謎を解き明かすことで、この作品の持つ独特な世界観がより鮮明に浮かび上がってきます。
この記事で学べること
- 九相図が平安時代から鎌倉時代にかけて僧侶の修行に使われた背景
- 「ドグラ・マグラ」で呉青秀が描いた九相図が呉一族を狂気に駆り立てる仕組み
- 夢野久作が10年以上かけて執筆した本作の8部構成の意味
- 仏教の諸行無常の概念と探偵小説の融合が生む独特な読書体験
- 現代でも京都市南区の西福寺で実際の九相図を見学できる事実
九相図とは何か:死と向き合う仏教美術の真髄
九相図(くそうず)は、人間の死体が朽ちていく九つの段階を描いた仏教絵画です。
奈良時代に海外から伝わったとされるこの絵画は、平安時代初期から鎌倉時代にかけて、僧侶の修行の一環として制作されました。檀林皇后や小野小町といった美女が死後、腐敗していく様子を描くことで、肉体の不浄と諸行無常を説いたのです。個人的な経験では、初めて九相図の存在を知ったとき、その生々しい描写に言葉を失いました。しかし、これは単なる恐怖を与えるための絵ではありません。
「美男美女も、老人も醜い人も、死ねば皆腐って骨になる。美しい女性でも皮を一枚剥げばこのような姿になる。だから女性への執着を捨て、修行に専念せよ」
この教えが、九相図制作の根底にある思想です。実際に平安時代の京都では、死体が街中に放置されることも珍しくなく、僧侶たちは現実の光景を目の当たりにしながら、この教えを実践していたと言われています。
九相図の九つの段階
檀林皇后にまつわる逸話は特に有名です。深く仏教に帰依していた彼女は、自らの死後、その腐敗していく姿を九相図として描かせたと伝えられています。美しい女性であっても死後は朽ち果てるという真理を、身をもって示したのです。
夢野久作「ドグラ・マグラ」における九相図の役割

1935年に発表された「ドグラ・マグラ」は、夢野久作が10年以上の歳月をかけて執筆した探偵小説です。
日本三大奇書の一つに数えられるこの作品では、九相図が物語の核心的な役割を果たしています。作中に登場する呉青秀(ご・せいしゅう)という人物が、妻の死体が腐敗していく様子を描いた絵巻物こそが、呉一族の男たちを狂気に駆り立てる引き金となるのです。
実体験から学んだこと物語の中で呉青秀は、玄宗皇帝を諫めるために自らの妻を殺害し、その腐敗過程をスケッチして九相図を制作します。この行為自体が既に常軌を逸していますが、さらに恐ろしいのは、この九相図が代々の呉家の男性に「心理遺伝」として受け継がれていくという設定です。
「ドグラ・マグラ」という題名自体、長崎地方の方言で「堂廻目眩」(どうめぐりめまい)、つまり混乱や迷走を意味する言葉から来ています。九州出身の夢野久作は、この毒々しい響きを持つ言葉を選ぶことで、作品全体に漂う狂気と混沌を表現したのでしょう。
「ドグラ・マグラ」の複雑な構造と九相図の位置づけ

本作は8部構成という複雑な構造を持っています。
冒頭の歌
短い詩で始まる不穏な導入
「私」の体験
精神病院での医師とヒロインとの出会い
狂人地獄外道祭文
風刺的な歌詞で精神医療を批判
この複雑な構造の中で、九相図は「心理遺伝」という概念と結びついて登場します。正木博士の理論によれば、先祖の記憶が刺激によって蘇るという「心理遺伝」が、呉一郎の殺人行動を説明する鍵となるのです。
作品には他にも重要な概念が登場します。「脳髄論」では、脳は思考が形成される場所ではなく、単なる情報交換センターに過ぎないと主張されます。また、「胎児の夢」理論では、胎児が子宮内で数十億年の生物進化を繰り返し、それを夢見るという説が展開されます。これらの擬似科学的な理論と九相図が絡み合うことで、読者は現実と幻想の境界が曖昧になる独特の読書体験を味わうことになります。
実際、この小説は「最低二度は読み返すことを強いられる」と作中でも述べられており、犯人も真相も現実も明示されないまま物語は終わります。これは通常の探偵小説とは全く異なる構造であり、多くの読者が途中で挫折してしまう理由でもあります。
九相図が象徴する諸行無常と狂気の関係性

仏教における九相図の本来の目的は、肉体の不浄と諸行無常を悟ることでした。
しかし「ドグラ・マグラ」では、この宗教的な教えが狂気を誘発する装置として機能します。なぜ死体の腐敗を描いた絵が人を狂わせるのか。これは単純な恐怖以上の意味を持っています。
九相図を見つめることは、自己の死と向き合うことでもあります。
美しいものも醜いものも、全ては朽ち果てて土に還る。この絶対的な真理を突きつけられたとき、人間の精神はどのように反応するのでしょうか。通常、仏教の修行では、この認識が執着からの解放につながるとされます。しかし「ドグラ・マグラ」の世界では、この認識が逆に執着を生み、狂気へと導くのです。

興味深いことに、ある研究者は九相図を「人間が大地に還る様子を観察するテキサスの巨大研究施設」に例えています。現代の法医学的な視点から見れば、九相図は死体現象の正確な観察記録とも言えるでしょう。平安時代の僧侶たちは、科学的な知識はなくとも、死という現象を冷静に観察し、記録していたのです。
現代に生きる九相図とドグラ・マグラの意義
「ドグラ・マグラ」は青空文庫で無料で読むことができます。
しかし、この作品を理解するには相当な覚悟が必要です。複雑で狂気に満ちた内容と構造のため、一度の読書で真相や内容を理解することは困難だと言われています。それでも、この作品が日本文学史に残る理由は、九相図という仏教美術と探偵小説を融合させた独創性にあります。
現代において、死は日常から遠ざけられた存在となりました。
病院で亡くなり、葬儀社が全てを取り仕切る現代では、死体の変化を目にすることはほとんどありません。しかし、だからこそ九相図と「ドグラ・マグラ」が持つメッセージは重要性を増しているのかもしれません。
実体験から学んだこと夢野久作が「ドグラ・マグラ」で描いたのは、単なる狂気の物語ではありません。死と向き合うことで見えてくる人間の本質、理性と狂気の境界線の曖昧さ、そして諸行無常という仏教的真理の持つ両義性を描いた作品なのです。
九相図が僧侶の修行のために作られた宗教画であることを考えると、「ドグラ・マグラ」もまた、読者に対する一種の精神的修行を課す作品と言えるかもしれません。読み進めるうちに、読者自身の理性と狂気の境界が曖昧になっていく。それこそが、夢野久作が仕掛けた最大のトリックなのでしょう。
よくある質問
九相図は実際にどこで見ることができますか?
京都市南区西九条の西福寺に九相図が現存しています。また、九州国立博物館でも特別展示される機会があります。ただし、非常に生々しい描写のため、事前に心の準備をすることをお勧めします。寺院によっては拝観に予約が必要な場合もあるので、事前確認が大切です。
「ドグラ・マグラ」を初めて読む際の注意点は?
一度で理解しようとせず、まず全体の雰囲気を掴むことから始めることをお勧めします。作品自体が「最低二度は読み返すことを強いられる」と述べているように、複数回の読書を前提としています。青空文庫で無料で読めるので、じっくり時間をかけて向き合うことが大切です。メモを取りながら読むと、複雑な構造を整理しやすくなります。
九相図の宗教的意味と「ドグラ・マグラ」での扱いの違いは?
本来の九相図は、肉体への執着を断ち切り、悟りへ導くための修行道具でした。しかし「ドグラ・マグラ」では、九相図が狂気を誘発する装置として描かれています。この逆転こそが作品の独創性であり、宗教的な救済が狂気に転化するという皮肉な構造を生み出しています。
なぜ夢野久作は九相図を作品に取り入れたのですか?
明確な記録は残されていませんが、夢野久作は仏教思想に深い関心を持っていたことが知られています。また、人間の理性と狂気の境界を探求する作家として、死と向き合うことで露わになる人間の本質を描くために、九相図という強烈なモチーフを選んだと考えられます。10年以上の執筆期間中、このテーマと格闘し続けたことが作品の深みを生んでいます。
現代における九相図の意義とは何でしょうか?
死が日常から隔離された現代社会において、九相図は生命の有限性を直視させる貴重な文化遺産です。医学的には法医学や解剖学の先駆けとも言える観察記録であり、芸術的には人間の根源的な恐怖と向き合う表現でもあります。「ドグラ・マグラ」を通じて九相図を知ることで、現代人が失いつつある死生観について考える機会を得ることができるでしょう。
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Source: オタクニュース
