賢い人は自分がいかに何も知らないかを知っているので断定口調で話さない。偉い人は偉そうなフリをする必要がないので優しくて腰が低い。つまり、断定口調で話す奴は100%ただのバカだし、偉そうな奴は実際はたいして偉くない小物って事だ。君たち、俺の貴重な話が無料で聞けて良かったな。感謝しろよ?
— Testosterone (@badassceo) November 23, 2021
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。ただし、実際はソクラテスは「無知の知」を主張していない、とする指摘もある[1]。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。しかしこれらは「無知が良い」という意味ではなく、「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果無知を克服し成長する」ことを意味する。ただし、論語は伝統的に複数の解釈がある(論語の注釈)。
15世紀のニコラウス・クザーヌスは「無知の知」(ラテン語: docta ignorantia,「知ある無知」とも)を説いた[2]。
無知Wikipedia
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Source: オタクニュース