国民的に愛された志村けんさん なぜその芸風は「家族を宿す」のか

志村けん

志村けんさんが3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった。志村さんは大変に愛されたコメディアン。なぜこんなにも愛されたのだろうか。


■両親に捧げられた芸

3月30日には、追悼番組としてNHK総合で『ファミリーヒストリー選「志村けん~東村山で生きた父 教師と柔道を貫く~』が再放送された。そこで笑福亭鶴瓶は志村さんの芸に対し、志村さんの両親が思い浮かぶような芸であると言っている。

同番組で、 志村さんがお笑いを志した理由として、厳格だった父がお笑い番組で笑っていたことで、笑いはなんてすごいんだと思ったというエピソードを明かしているのだ。ひたすら両親に捧げられたような笑いであると鶴瓶は分析する。


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■「志村、後ろ後ろ」

志村さんは兄弟の中でも末っ子だ。志村さんの芸からは、3人兄弟の末っ子が両親を思いながら笑わせようとするイメージがにじみ出ているのかもしれない。

志村さんは、出身グループであるドリフターズの中でも圧倒的に末っ子だった。コント中に志村さんの後ろに危機が迫ると観覧のお客さんが「志村ー、後ろ後ろー」と叫んであげたのは今も有名なエピソードだ。


■国民的末っ子だった志村さん

和田アキ子も志村さんの緊急入院の報道に対し「志村は」とあえて頑なに呼び捨てにするのが印象的だった。ごく一部では批判の声もあったようだが、志村さんと和田は同い年。

志村さんの訃報を受けての和田のコメントにもあるように、志村さんの下積み時代から和田は当時から有名歌手として関わりを持っているのだからそれで自然な関係と言える。

いやそれ以前に、ドリフのリアルタイム世代でなくても、志村さんより歳下でも、国民にとって志村さんは「志村ー」と呼ぶ対象だろう。国民にとっての末っ子的人気者だったのだ。

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Source: ニュースサイトしらべぇ

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