学生と話していると、今の若い人がどれほど禁欲的に他者の内面に踏み込むことを悪と感じ、忌避しているがわかって驚くことがある。恋人がいないというのもこういうスタンスと関わりがあるだろう。
— 倉数茂 『名もなき王国』文庫化しました(ポプラ文庫) (@kurageru) June 15, 2022
付け加えておくと、他者を心理的に侵犯しないよう常に気を遣うというのは、優れた倫理的態度だと思う。ただ、それだけでは人間関係は進展しないとも感じてしまう。ここで内面に踏み込むというのは、相手の「本心」を知りたがるとか、相手の言葉に強く異を唱えるとかいったこと。
— 倉数茂 『名もなき王国』文庫化しました(ポプラ文庫) (@kurageru) June 15, 2022
昨年映画『花束みたいな恋をした』が話題になり、ヒットしたのは、マイナーな趣味を介して男女が一切の暴力性と無縁に通じ合い、心と体がつながるという奇跡のような事態を描いていたからではないだろうか。性欲からも暴力性が浄化され趣味こそが愛を生む。サブカル者のユートピア。少なくとも前半は。
— 倉数茂 『名もなき王国』文庫化しました(ポプラ文庫) (@kurageru) June 15, 2022
なぜこう思ったかというと、授業である小説を読んでいて、恋人の「内面」を知ろうとするのは暴力ではないかという意見が出たから。なるほど、そう感じるのかと。恋人ともジェントルな距離を保ち続けるということかと。
— 倉数茂 『名もなき王国』文庫化しました(ポプラ文庫) (@kurageru) June 15, 2022
自分はそういうスタンスにある種のリスペクトと愛おしさを感じるけど、でも孤独な道だよな。
— 倉数茂 『名もなき王国』文庫化しました(ポプラ文庫) (@kurageru) June 15, 2022
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Source: オタクニュース