スポーツを離れて社会に出て良かったのは、スポーツを嫌っている人や、憎んでいる人、やっていたけど傷ついている人がこんなにいたのかと気付かされた事です。おそらくスポーツの世界だけにいたら、スポーツが好きな人と、スポーツによって成功体験を持つ人との接触が極端に多かったと思います。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
スポーツは素晴らしいと感じることや、スポーツを楽しむことに引け目を感じる必要はないと思いますが、これまでのスポーツ体験でひどい思いをして距離を置いたそんなに小さくない集団が「スポーツ最高」と言っている私たちを冷ややかに見ていることはきちんと理解する必要があると思います。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
既存のスポーツシステムは誰に恩恵をもたらし、誰が被害を被り、どんな機会損失を産んでいるのかを把握した方がいいと思います。スポーツはやりたいのだけれど、スポーツ界は大嫌いという人に本当にたくさん会いました。「スポーツ界」がむしろ「スポーツ嫌い」を増やしている可能性すらあります。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
一部の才能ある子のためではなく、全ての子供たちのためのスポーツとはなんなのか。全ての国民のためのスポーツとはなんなのか。その前提から始めないと、全ては空虚になってしまうと私は思います。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
いくつかの返信で体育会系の人間に恥をかかされたというのがありますが、これは各国共通のようでアメリカでもよくドラマで出てきます。これも問題でなんとかしなければいけませんが、今回私が伝えたいのは日本のスポーツ文化が生み出す問題点です。特にスポーツに入ったけど嫌いになったパターンです
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
大変言い方が難しいのですが、何でも人はうまくできたり嫌な思いをした時にそれを嫌いになると思うのですが、そういうシンプルな話とは分けて、スポーツ界の好きだった人まで嫌いにさせてしまうところや、興味がない人まで無理やり巻き込んでしまうところの問題点を感じています。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
つまり、
・才能で勝負が決まることへの嫌悪
・優越したものが見下すことへの嫌悪
・人気で目にする機会が多いことへの嫌悪
・性質が合わないことからの嫌悪
・嫌な奴と出会った事での嫌悪
ではない、スポーツ界特有の文化の問題点についてお話をしています。上記はスポーツ以外でも見られるので— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) March 27, 2022
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Source: オタクニュース