日本人が知らない「大麻」が違法薬物になった理由

マリファナ 農作物 大麻 戦前 インド大麻に関連した画像-01
しかし、日本人はこの時点でもまだ戦前と同様、「マリファナとはインド大麻(※1930年に制定された麻薬取締規則において、日本の大麻(繊維型)と区別するために、海外の大麻(薬用型)が「インド大麻」として規制された)のことであり、農作物としての大麻は無関係である」と考えていました。
そのため1946年春から夏にかけて、例年どおりに大麻の栽培は行われていました。

ところが、1946年にある事件が起こります。
GHQの京都軍政部により、京都府で栽培されていた大麻が発見され、農家2名を含む4名の民間人がGHQの命令違反で検挙されたのです。
不運にも、彼らが日本の大麻取扱事件の初の摘発者となりました。
京都府は麻薬採取の目的ではなかったことを訴え、京都大学薬学科、刈米・木村両博士の鑑定書を添付し、インド大麻ではないことを証明しようとしました。
しかし、関係者の努力は実らず、「その栽培の目的如何にかかわらず、また麻薬含有の多少を問はず、その栽培を禁止し、種子を含めて本植物を絶滅せよ」との命令が下されたのです。

同年9月、昭和天皇が栃木県国府村(現・栃木市国府町)を訪問されています。
「国府村農協組合にて大麻製造御高覧」という説明文がついた写真が残っていますが、ご訪問の真意はわかっていません。
国府町で伺った話によると、大麻農業の存続を危惧して動揺する農民たちを、「これからも大麻はつくれるから、安心してください」と励ますためだったとされています。

生物学者であり、植物にも造詣が深かった昭和天皇の有名な言葉に
「雑草という草はない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草と決めつけてしまうのはいけない」というものがあります。
占領下におけるGHQの命令に、心を痛めておられたのではないでしょうか。

その後、大麻の取り締まりを強化するため、前年までの取締規則を法制化するようGHQから要請があり、1948年7月10日に「大麻取締法」が制定されました。
同時に「麻薬取締法」が制定されましたが、これは農家が取り扱う従来の農作物としての大麻と、医師などが取り扱う麻薬類を分けるための措置でした。

https://toyokeizai.net/articles/-/430218
※上記リンクより、一部抜粋。続きはソースで

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Source: アルファルファモザイク

日本人が知らない「大麻」が違法薬物になった理由

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