私が父親に疑問を感じ始めたのは、大学に入ってからだった。それまでは付かず離れずの、至って普通の親子関係であったと感じている。
父親は「女性管理職を増やす取り組みは間違っている。男女関わらず優秀な人を取り立てるべきだ」と言った。
言いたいことはわかるが、強い反感を覚えた。優秀な女性が取り立てられない社会を作ってしまっている元凶は男性であって、この言葉を男性が言うべきではないと。そう言われると、過去のことも色々と思い出してくる。
私が〇〇大学に通いたいというと「お前には無理だ」と父に言われた。また、「太っている」と容姿の指摘をされた。言い出せばキリがない。
父親は、典型的な古典的男性だ。それは、今でも変わらない。能力をつければ、それだけ評価してくれる、それに気がつくことができた。女性であることに、もちろん今でも不自由を感じている。
しかし、社会が変化し主張がしやすくなる中で、やはりそれが主張できるだけの能力を身につける必要があると考えている。そうすることでやっと、対等に渡り合うための土俵に立つことができるのだ。
父親の変化を機にそれに気がついた今、私はさらに学ばなくてはならないと感じている。父親の言った「男性女性関わらず」活躍できる社会の創出のため、まずは私は父親と対等に張り合えるだけの社会人になりたい。
https://mirror.asahi.com/article/14317171
※上記リンクより、一部抜粋。続きはソースで
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Source: アルファルファモザイク