1:2021/03/05(金) 08:34:17.37ID:sguN6fcn0.net
本年2月26日、文化審議会 (*)国語分科会の国語課題小委員会は、「障害」の代わりに提案されている「障碍」の「碍」の字を、「直ちに〔常用漢字表に〕追加することはしない」という見解を示した(朝日新聞2021年2月27日付)。
直前に、川内博史衆議院議員(立憲民主党)が予算委員会で同提案を行った後のことだけに(同2月20日付)、注目を集めるなかでの判断だった(*後述する理由で、ここはあえて「分かち書き」にした)。
直前に、川内博史衆議院議員(立憲民主党)が予算委員会で同提案を行った後のことだけに(同2月20日付)、注目を集めるなかでの判断だった(*後述する理由で、ここはあえて「分かち書き」にした)。
「害」には私も違和感がある。実際に「障がい者」からそうした想いを聞いたこともある。
害は「益」、「利」に相反する言葉で、「悪い結果や影響を及ぼす物事」(小学館『大辞泉』)の意である。
実際周囲から、「障がい」は悪い結果や影響をおよぼすと――多くの場合、同情からとはいえ――見なされる傾向が大きいだろう。だがそのことと、実際に結果・影響を、ひいては障がい自体を「悪い」と認識・意識することは、別の事柄である。
「障がい者」やその家族は、「障がい」の現実をそのまま受け入れて、それを特別なこと(ましてや特別な害悪)ではなく普通のことだと解して生きる、あるいは生きるようはげますというが、確かに「害」には、そのように前向きに生きる可能性を、せばめてしまう怖さがある。
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2021030300004.html?page=1
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Source: アルファルファモザイク